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矢板市指定文化財 矢板市立矢板武記念館

 のご案内

矢板武記念館 母屋 矢板 武(1849〜1922)

〜 ご 利 用 案 内 〜

開館時間:午前9時30分〜午後4時
       (11月1日から3月31日は、午前10時から午後3時)

休 館 日:月・火曜日(この日が休日の場合はその翌日)
       祝日の翌日(土・日・祝日の場合は開館)
       年末・年始(12月27日〜1月5日)

入 館 料:一  般  100円(60円)
       小・中学生  50円(30円)

 ※(  )内は20人以上の団体


駐 車 場:矢板市役所駐車場をご利用ください。
〜 問 い 合 わ せ 〜
矢板武記念館           Tel:0287−43−0032
矢板市教育委員会生涯学習課 Tel:0287−43−6218

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枝垂桜(シダレザクラ)
展示作品(写真のみ)
矢板家のあらまし
聚薼亭(しゅうじんてい)
矢板武の後継者たち
展示資料一覧

 
○枝垂桜( シダレザクラ)
▲平成3年11月1日に矢板市の名木10選に選ばれた枝垂桜
(平成18年の満開は4月7日ごろでした)

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○展示 内容(写真のみ)
〜土蔵の展示室〜
▲浮世絵版画

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○矢板家のあらまし
 矢板家は江戸時代まで姓を「坂巻(さかまき)」といいました。
 明治3年ごろ「坂巻武兵衛(さかまき ぶへえ)」は矢板の地名をとって「矢板 武(やいた たけし)」と名のりました。そのころ明治政府は、新しく戸籍作る仕事を始めていましたので、坂巻武兵衛は矢板 武という新しい名前にかえることができたのです。
 坂巻家の系図によると、坂巻家は戦国時代のころ、甲斐(山梨県)の武田家の家来でしたが、武田家が滅んだのち、矢板に来て定住したということです。
 坂巻家は代々百姓(ひゃくしょう)をしていましたが、日光北街道が開かれると問屋業(とんやぎょう)もいとなんで財産を増やしました。
 矢板武は那須野が原の開拓に尽力しましたが、祖父は高原山などの豊かな材木を東照宮のある日光方面に送り出す材木問屋をしていました。そのころ日光北街道は道が悪く、特に倉掛(くらかけ)付近の山道は坂が急で旅人は難儀(なんぎ)していました。そこで材木問屋の仲間や村人たちと相談して、新しく倉掛新道(くらかけしんどう)を作りました。その工事にはたくさんのお金と大勢の力が必要でしたが、完成させ、通行人に大変喜ばれるようになりました。
 矢板武の父は、この地方の米を当時は米が取れなかった今市方面や日光方面に送り出す米問屋をしていました。今市や日光は、日光にお参りする人が多かったので、多くの米が必要だったのです。商売も順調に進んでいましたが、両親とも若くしてこの世を去りました。
 幼いうちに両親を亡くした矢板武は祖母の言いつけをよく守って勉学に励み、立派に成長しました。
 若いときから村役人などに任命され村人に慕われ、時代が明治に変わると、この地方の副戸長(ふくこちょう)、区長(くちょう)をつとめるなど地域の指導者になりました。
 その後、那須野が原の開発事業に情熱を傾けたほか、日本鉄道株式会社<現在のJR>の役員となって矢板に鉄道が通るように努力し下野銀行や、矢板銀行など 、設けて頭取(とうどり)<代表者>になり、明治初年のころ荒れ果てた日光を復興<元に戻す>するため保晃会(ほこうかい)という組織を作り、多くの人から募金を集めて日光のためにも努力しました。
 このように、矢板武は家をよりどころとして、いろいろな分野で活躍しました。
 矢板邸は古い家でしたから、明治45年に大修理をして、現在のような邸宅になりました。
 矢板武は主に経済の発展に努力をしましたので、明治から大正時代にかけて活躍した明治の元勲(げんくん)<国のために大きな功績のあった人>たちとも交際<つきあい>が多かったようです。
 三条実美(さんじょうさねとみ)、山縣有朋(やまがたありとも)、品川弥二郎(しながわやじろう)、渋沢栄一(しぶさわえいいち)、勝 海舟(かつかいしゅう)、大鳥圭介(おおとりけいすけ)などのほか名士の書や貴重な品物などが数多く残されています。

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○聚薼亭(しゅうじんてい)
 正面玄関の奥に「聚薼亭」と書かれた額があります。
明治14年の晩秋<秋のおわりごろ>、勝海舟(かつかいしゅう)が日光にきたときに矢板家を訪ね、この額になっている文字を書いたものと思われます。
 字のとおり読むと「薼(ちり)の聚(あつ)まる亭(やしき)」ということになりますが、その意味は次のようにも考えられます。
 勝海舟は「吹薼録(すいじんろく)」という書物をのこしたり、「政塵(せいじん)の外に超越(ちょうえつ)し、」など「薼(ちり)」の文字をよく使っています。
 このころ矢板武は、那須野が原開発のため忙しく働いていて、那須野が原開拓の関係者や、国の中心となっている政治家たちが、この屋敷に出入りしていました。
 この様子を考えて「薼(ちり)まみれになって働いている人たちの聚(あつ)まる亭(やしき)」と名づけたものと思われます。

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○矢板武の後継者たち
 矢板武の跡(あと)を継いだのは矢板寛(やいたひろし)です。武の子は女子ばかりでしたので、渋沢栄一の媒酌(ばいしゃく)<仲人>により福井市の名門「野村家」から養子を迎えたのです。
 矢板寛は旧制東京帝国大学(今の東京大学)を卒業した秀才で特に中国文学には優れた学者でした。中国から招かれて軍官学校<中国の軍隊幹部を養成する学校>の教官をつとめながらも、東京帝国大学に時々論文を送ったといわれています。
 中国から日本に帰ってからは、下野銀行の頭取、矢板銀行の頭取、矢板町長など要職<大事な役職>につき、矢板武の跡を継ぎました。晩年は漢詩<中国漢時代の詩>を作ったりして優雅な<上品で美しい>生活を送りました。
 矢板寛の子も女子ばかりでしたので、跡継ぎとして福井市の名門「加藤家」から養子を迎えることになり、迎えられたのが矢板玄蕃(やいたげんば)です。
 矢板玄蕃も旧制東京帝国大学卒業で経済学に優れた人でした。
 経済界の要職につき活躍していましたので、東京に住んでいることが多かったようです。矢板に帰ってからは矢板市教育委員会教育長などの職につきました。
 矢板玄蕃の子が矢板玄(くろし)です。玄は科学者として昭和電工などの会社で活躍しました。
 晩年は矢板信用組合理事長などをつとめ、この矢板家に住んでいました。
 このように、矢板家の人々は国家や社会のために貢献し、矢板邸を留守にすることが多くなりました。現在の主人、矢板肇(やいたはじめ)氏も神奈川県逗子市に生活の本拠を移していますので、父、玄の意志もあり、平成9年に建物が矢板市に寄付され、現在に至っています。

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○展 示 資 料 一 覧○
NO 分類 資料名
1 写真 矢板武叙勲記念写真 複製
2 写真 勲六等瑞寶章叙勲記念 複製
3 写真 矢板武翁叙勲祝賀会写真 複製
4 写真 矢板武曾孫 玄氏袴着の式記念 複製
5 写真 矢板武葬儀 写真 複製
6 写真 矢板武葬儀 写真 複製
7 写真 矢板武葬儀 写真 複製
8 写真 那須疎水岩崎渠口竣工式記念写真 複製
9 写真 英・伊国軍艦えい航記念 複製
10 写真 関東4県青年会議所連合会記念写真 複製
11 写真 西沢金山記念写真 複製
12 写真 矢板銀行竣工式記念写真 複製
13 写真 西沢金山記念写真 複製
14 写真 松方侯爵銀婚式祝賀園遊会記念写真 複製
15 写真 伏見桃山御陵参拝の帰途(京都祇園社)記念写真 複製
16 写真 高橋是清男爵との記念写真 複製
17 写真 陸軍大演習の際の記念写真 複製
18 油絵 清水登之画 「矢板武肖像画」  
19 写真 下野銀行員新年祝賀会写真 複製
20 写真 下毛銀行同盟会例会記念写真 複製
21 写真 古河銀行・下野銀行合併の熟議後記念写真 複製
22 写真 下野銀行員第一回競技会記念写真 複製
23 写真 満韓観光団出発に際し記念写真 複製
24 写真 満韓観光団及釜山在住縣人記念写真 複製
25 写真 満韓観光団渡航(韓国)記念 複製
26 写真 満韓観光団南満鉄道大石橋駅記念写真 複製
27 写真 満韓観光団旅順203高地記念写真 複製
28 写真 満韓観光団渡航(中国)記念写真 複製
29 写真 満韓観光団渡航(中国)記念写真 複製
30 写真 満韓観光団清国保定府法制学堂記念写真 複製
31 勝 海舟書 「集薼亭」
32 矢板武書 「忠実服業」
33 雲照律師書 「件」
34 鋳造品 新海竹蔵作 「矢板武夫妻像」
35 書簡 品川弥次郎書状
36 書簡 印南丈作書状
37 推薦状 保晃会顧問推薦状
38 書簡 那須開墾社書状
39 当選証書 郡會議員ノ證(郡会議員当選証書)
40 株券 株式券状(那須開墾社)
41 書籍 那須開墾誌
42 地券 地券(長井村636番地、明治20年発行)
43 竹製品 扇子(箱付)(下田歌子吟、短歌)
44 短冊 短歌(野霰)(下田歌子吟)
45 石版画 京都北山金閣寺全図
46 浮世絵版画 大同江より平壌攻撃之図(展示替あり)  
47 浮世絵版画 徳川時代貴婦人之図(展示替あり)  
48 木製品 漆塗飾角盆
49 木製品 丸盆
50 木製品 黒漆塗螺鈿丸盆
51 木製品 丸盆
52 木製品 丸盆
53 木製品 角盆
54 木製品 隅丸角小盆
55 木製品 黒漆塗湯注
56 木製品 黒漆塗蓋付椀
57 木製品 赤漆塗蓋付椀
58 木製品 朱塗皿
59 木製品 赤漆塗盃
60 木製品 漆塗銘々皿
61 木製品 黒漆塗小角盆(家紋入)
62 木製品 弁当箱
63 木製品 黒漆塗重箱
64 木製品 黒漆塗重箱
65 陶製品 火鉢
66 布製品 ゆたん(家紋入)
67 木製品 桐箪笥(上置付)
68 木製品 角火鉢(火箸2組付)
69 木製品 黒漆塗組膳
70 木製品 漆塗膳
71 木製品 黒漆塗角盆(箱入)
72 木製品 台付朱塗角盆(箱入)
73 人形 陶製舞姿人形(台付)
74 木製品 小銭箱
75 木製品 黒漆塗小箱
76 木製品 飾り棚
77 木製品 黒漆塗硯箱
78 鹿角製品 刀掛(台付)
79 木製品 飾り戸棚
80 人形 童子舞姿人形(ケース入)
81 金属製品 手鏡(ケース付)
82 布製品 正絹羽織
83 布製品 帽子(シルクハット)
84 木製品 衣紋掛
85 布製品 袱紗(鳳凰印)(目録付)
86 布製品 袱紗(家紋入)
87 布製品 巾着
88 金属製品
89 木製品 くし(大・小)
90 竹製品 煙草入(キセル入れ付)
91 象牙製品 円形小容器
92 陶板 レリーフ (渡辺崋山像)
93 竹製品 扇子(男物)
94 竹製品 うちわ
95 木製品 うちわ置
96 竹製品 うちわ置
97 色紙絵 荒井寛方画(絹本 「松画」)
98 古銭 十銭(明治四十一年)
99 古銭 二銭(明治十五年)
100 古銭 五十銭(明治三年)
101 古銭 寛永通寶
102 バッヂ 徳川家家紋
103 バッヂ 記念章(日進香日回航員日光歓迎会)
104 バッヂ 会員章 (大日本武徳会)
105 バッヂ 会員章 (帝国鉄道協会NO.2837)
106 メダル 記章 (平安遷都千百年記念祭協賛会)
107 プレート 金属板 (真鍮製家紋入)
108 鋳造品 像(聖像・箱付)(株式会社下野貯蓄銀行営業所新築記念)
109 棒秤(木製箱付)
110 銀製品 デミタスカップ(皿付)
111 銀製品
112 銀製品 コースター
113 木製品 表札 (三條太政大臣殿御泊)
114 磁器 酒杯(美濃焼?)
115 磁器 鯛形箸置(名陶製)
116 磁器 箸置(有田焼)
117 磁器 箸置(有田焼)
118 磁器 湯呑皿付(小吉陶園製)
119 磁器 小鉢(美濃焼?)
120 磁器 湯呑(有田焼?)
121 磁器 飯碗蓋付
122 磁器 湯呑(伊万里焼)
123 磁器 茶器セット(急須・湯呑)(名古屋SEYEI製)
124 磁器 浅鉢(名古屋SEYEI製)  
125 磁器 高台付皿(東洋陶器製)
126 磁器 皿(有田・深川製)
127 磁器 鉢(佐賀県立有田工業学校製)
128 磁器 蓋付丼(有田焼?)
129 磁器 飯碗
130 陶器 大甕(益子焼)
131 陶器 鉢(益子焼)
132 磁器 飯碗蓋付(瀬戸焼?)
133 磁器 飯碗蓋付(ノリタケ製)
134 磁器 鉢(たち吉製)
135 磁器 石鹸入(東洋陶器製)
136 磁器 エッグスタンド(ノリタケ=日本陶器合名会社製)
137 磁器 小蓋物(ノリタケ=日本陶器合名会社製)
138 磁器 デミタスカップ皿付
139 磁器 モーニングカップ皿付(大倉陶園製)
140 磁器 コーヒーカップ皿付(大倉陶園製)
141 磁器 カップ(東洋陶器製)
142 磁器 ミルクポット(ノリタケ製)
143 磁器 ミルクカップ皿付(ノリタケ製)
144 磁器 小鉢(ノリタケ=日本陶器合名会社製)
145 磁器 小皿(大倉陶園製)
146 磁器 シュガーポット(ノリタケ=日本陶器合名会社製)
147 磁器 洋皿(チェリーチャイナ製)
148 磁器 洋皿(昭和製陶製)
149 陶器 洋皿(イングランド製)
150 陶器 洋皿(KOKURA WARE製)

151 水彩画 宇都宮信用金庫の絵(野中正一画)  


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