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県指定文化財(建造物、絵画、彫刻、工芸品、考古資料)

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年8月7日更新

建造物

1 山縣有朋記念館(旧・山縣有朋別邸) 1棟

所有者:(財)山縣有朋記念館

所在地:矢板市上伊佐野1022

指定日:平成2年1月26日

山縣有朋記念館

 明治42(1909)年、山縣有朋晩年の別荘として知られる小田原の古稀庵内に建てられたもの。大正13(1924)年に有朋の長男伊三郎氏の手によって、有朋ゆかりの山縣農場内(現在地)に移築された。設計は湯島聖堂や築地本願寺を手掛けた伊東忠太による。

絵画

2  絹本著色鮎図   1幅

所有者:個人

所在地:矢板市東町

指定日:昭和39年4月10日

絹本著色鮎図

 小泉斐の作品。縦96cm、横35cm。画面上半分には険しい崖が描かれ、画面下半分には水の中に鮎12尾、水辺には葦と野菊を配している。小泉斐は明和7(1770)年に益子で生まれ、享和元(1801)年に甲斐守を勤めた。その後、黒羽藩に招かれ神社の宮司となり、画の創作に励んだ。

3 板絵著色花鳥図 4枚

所有者:個人

所在地:矢板市安沢

指定日:昭和57年8月27日

板絵著色花鳥図

 牧野牧陵の作品。縦163.5cm、横79cm。4枚の黒塗縁杉戸に花鳥図が両面にわたって描かれている。牧陵は文化2(1805)年に烏山に生まれた。天保元(1830)年、喜連川藩の津村雨林に入門し、その実力が認められて藩の絵師となる。明治17(1884)年に亡くなるまで数々の南画を創作している。

4 絹本著色釈迦三尊十六善神図 1幅

所有者:沢観音寺

所在地:矢板市沢393(沢観音寺内)

指定日:昭和57年8月27日

絹本著色釈迦三尊十六善神図

 作者不詳。縦107.8cm、横55.2cm。釈迦如来を中心にして、左側に文殊菩薩、右側に普賢菩薩が描かれており、それを取り囲むように十六善神が配されている。大般若波羅蜜多経を転読する大般若経会は、経典を守護する釈迦三尊とその護法善神である十六善神を本尊として奉掛し、行っている。描き方の特徴から、室町時代末期に製作されたものと考えられる。

5 絹本著色高野四社明神図 1幅

所有者:沢観音寺

所在地:矢板市沢393(沢観音寺内)

指定日:昭和57年8月27日

絹本著色高野四社明神図

 作者不詳。縦107.8cm、横53.2cm。左側に男神2柱、右側に女神2柱が描かれており、それぞれの下に守護獣である狛犬が配されている。神仏習合時代の特徴的な作品。室町時代末期に製作されたものと考えられる。

6 絹本著色観世音菩薩図 1幅

所有者:沢観音寺

所在地:矢板市沢393(沢観音寺内)

指定日:昭和63年12月27日

絹本著色観世音菩薩図

 荒井寛方の作品。縦140.3cm、横51cm。観世音菩薩が岩の上に腰をおろし、その傍らには水瓶が置かれている。背後には迫り立つ山を配している。荒井寛方は、明治11(1878)年、氏家に生まれた。画家であった父の影響をうけて、東京の画家である水野年方に師事し、歴史画を学ぶ。昭和20(1945)年、郡山駅で急逝するまで数多くの作品を描き、残している。

7 絹本著色阿弥陀如来坐像 1幅

所有者:鏡山寺

所在地:矢板市東泉680(鏡山寺内)

指定日:平成5年9月3日                                                    

絹本著色阿弥陀如来坐像

 作者不詳。縦149.3cm、横94cm。台座上に結跏趺坐している阿弥陀如来が描かれている。高麗時代(918~1392年)に現地で描かれたもので、高麗仏画と呼ばれている。高麗仏画は現存しているものが少なく、大変貴重なもの。

彫刻

8 木造金剛夜叉明王坐像 1

所有者:木幡神社

所在地:矢板市木幡1194-1(木幡神社内)

 指定日:昭和48年7月24日

木造金剛夜叉明王坐像

 作者不詳。像高105.5cm。寄木造で南北朝時代の作。三面三目六臂の馬頭観音菩薩坐像で、現在は木幡神社参道入り口にある下宮に安置。神仏習合時代の名残で、日光山輪王寺から寄進されたものと考えられる。

9 木造千手観音坐像 1躯

所有者:沢観音寺

所在地:矢板市沢393(沢観音寺内)

指定日:昭和48年8月28日

木造千手観音坐像

 作者不詳。像高36.6cm。一木割矧造で、鎌倉時代の作。本堂の南側、薬師寺と並んで建つ観音堂に安置されている。沢観音寺は天長2(825)年、宥印法印によって創建され、当初は土屋の丘陵上にあったと伝えられる。沢の地を治めていた沢村城主の菩提寺として栄え、沢村氏が烏山に移った後は城の跡地である現在地に移った。

10 銅造大日如来坐像  1

所有者:寺山観音寺

所在地:矢板市長井1875(寺山観音寺内)

指定日:昭和50年10月24日

銅造大日如来坐像

 像高110cm。銅造で、天明元(1781)年の作。平野村の人達が湯殿山を参拝した際霧の中から大日如来が現れた。この体験をもとに仏像を寄進したといわれている。蓮台には佐野天明町の鋳物師「丸山善太良易親作」の銘があり、立足村仁田久保志徳坂で鋳造したと伝えられる。

11 木造行縁僧都坐像  1

所有者:寺山観音寺

所在地:矢板市長井1875(寺山観音寺内)

指定日:昭和50年10月24日

木造行縁僧都坐像

 作者不詳。像高82.7cm。一木割矧造で、鎌倉時代の作。胎内に正治2(1200)年の墨書がある。平成6(1994)~10(1998)年の矢板市仏像悉皆調査にて胎内墨書が発見され、鎌倉時代に入寺し建物を修理復興した行縁上人の像であることがわかった。

12 木造二十八部衆像 28躯

所有者:寺山観音寺

所在地矢板市長井1875(寺山観音寺内)

指定日:昭和50年10月24日

木造二十八部衆像

 木造千手観音坐像の左右に、28躰の像が安置されている。二十八部衆と呼ばれる仏像で、千手観音を信仰する人を護る護法善神のひとつ。平均像高は80cmで、室町時代の作。製作は、当時、宇都宮を中心に活躍していた少貮法眼と金資宗海の2人の仏師によるもの。

13 銅造千手観音菩薩坐像(懸仏) 1面

所有者:寺山観音寺

所在地:矢板市長井1875(寺山観音寺内)

指定日:平成3年2月19日 

銅造千手観音菩薩坐像(縣仏)

 作者不詳。像高40cm。銅造で、鎌倉時代の作。木造千手観音坐像(秘仏)のお前立として観音堂内に安置されている。もともとは本像背面に銅円盤を取り付けた懸仏であったため、像の裏側は頭部から地付部まで平滑になっている。

14 木造風神・雷神像 2躯

所有者:寺山観音寺

所在地:矢板市長井1875(寺山観音寺)

指定日:平成4年2月28日

木造風神像 木造雷神像

 風神像は寄木造で像高44.2cm。雷神像は寄木造で像高44.9cm。風神は風袋、雷神は小太鼓を持ち、姿態・表情ともに律動的である。平成6(1994)~10(1998)年の矢板市仏像悉皆調査で室町時代に作られたものと判定された。

15 木造阿弥陀如来坐像(紅頗梨色阿弥陀像) 1躯

所有者:沢観音寺

所在地:矢板市沢393(沢観音寺内)

指定日:平成13年2月13日

木造阿弥陀如来坐像

 作者不詳。像高56cm。寄木造で江戸時代の作。仏身及び袈裟、光背がすべて紅頗梨色(ぐはりいろ)に染まっている。衣部と台座は漆箔である。空海によって作られた「紅頗梨秘法」の本尊で、通常の阿弥陀如来とは異なり、大日如来のように頭上に宝冠を戴いている。

 

工芸品

16 曜変天目茶碗(禾目天目) 1口

所有者:沢観音寺

所在地:矢板市沢393(沢観音寺内)

指定日:昭和48年1月30日

曜変天目茶碗(禾目天目)

 口辺部径16.7cm、高さ7.5cm、重量610g。中国宋時代(960~1279年)に作られたものと伝えられる。天目茶碗は鉄釉を用いて中国で焼かれた抹茶茶碗で、鎌倉時代、現浙江省天目山の禅院で使っていたものを日本の禅僧が持ち帰り、天目茶碗と呼ぶようになった。

17 刀(銘 野州住道賛作之) 1振

所有者:個人

所在地:矢板市扇町

指定日:昭和56年7月31日                                                                   

刀(銘野州住道賛作之)

 刀身の長さは66.2cm。昭和19年7月の作。刃文は「互の目乱れ」と呼ばれるもので、波状の文様が様々な乱れを呈している。茎の表に「野州住道賛作之」、裏に「昭和十九年七月」の銘が彫られている。

18 槍(銘 守勝) 1筋

所有者:個人

所在地:矢板市本町

指定日:昭和60年1月18日

槍(銘 守勝)

 穂の長さは19cm、茎の長さは39cm。安土桃山時代の作。穂の断面は平三角形で、けら首の断面は八角形である。茎の部分に「守勝」の銘が彫られている。守勝は室町時代に活躍した下野を代表する刀工で、宇都宮市徳次郎町に徳次郎鍛冶を構えて製作にあたった。

考古資料 

19 寛元二年銘の板碑 1基

所有者:矢板市

所在地:矢板市片岡1599(明本寺内)

指定日:平成5年9月3日

寛元二年銘の板碑

 秩父産の緑泥片岩で造られており、寛元二甲辰、十一月の銘が刻まれている。板碑は中世武士の死者を追善供養するための卒塔婆で、鎌倉時代中期の頃から製作され、南北朝期に全盛期を迎えた。矢板市域では、鎌倉以降の中世寺院や墓地、古道に沿った人の往来があるところで見つかることが多い。