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県指定文化財(建造物、絵画、彫刻、工芸品、考古資料)

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年3月18日更新

建造物

1 山縣有朋記念館 1棟

平成2年1月26日指定
矢板市上伊佐野  (財)山縣有朋記念館

山縣有朋記念館

この山縣有朋記念館は、当初は、有朋晩年の別荘として知られる小田原の古稀庵内に明治42年(1909)、伊東忠太の設計によって建設された。大正12年(1923)の関東大震災で倒壊したため、翌年、山縣有朋の長男伊三郎氏の手によって現地に移築されたものである。現存する建物は木造2階建で、南側玄関部分と北川便所部分を平屋とする他は総2階である。純然たる洋風建築であるが、全体としては、明治の元勲の別邸とは思えないほど質素である。特に外観は、南側正面の1、2階サンルーム部分と玄関の建具を除けば、これといった装飾は用いられていない。 しかし内部に関しては、階段室や2階の居間を中心に当時の邸宅建築の水準を示す質を備えており、なかでも、山縣有朋の  Y.Aをアール・ヌーヴォー風にあ しらったドアのデザインが目を引く。本建築は、その古稀庵の最初期の洋館であるとともに、有朋在世中に古稀庵内に建設された居住用の建物としては唯一の遺構でもある。また設計者の伊東忠太は、明治25年(1892)に帝国大学工科大学造家学科(後の建築学科)を卒業し、わが国近代最初の建築史学者として、また東京帝国大学教授として、その後の建築界の指導者的な役割を果たした建築家である。 

絵画

2  絹本著色鮎図  小泉 斐筆 1幅

昭和39年4月10日 指定
矢板市東町  個人

絹本著色鮎図

 縦96cm 横35cm 懸崖の下の流れに鮎12尾を配し、水辺に葦と野菊をあしらっている。小泉斐は、黒羽の神官で甲斐守の斐をとって雅号にした藩のお抱えの絵師でもあった。鮎が最も得意とされ、独特の柔らかい筆を使っているので、弟子等のまねのできない点であり、真偽の判断にもこの筆つかいがポイントになっている

3 板絵著色花鳥図 4枚

昭和57年8月27日 指定
矢板市安沢  個人

板絵著色花鳥図

黒塗縁杉戸  (縦163.5cm 横79cm)
 4枚両面に画かれた花鳥の絵で、喜連川藩絵師 牧野牧陵が江戸時代末期に来遊止宿して描いたという言い伝えがある。色彩筆勢にすぐれ、花も鳥もいきいきしている。

4 絹本著色釈迦三尊十六善神図 1幅

昭和57年8月27日 指定
矢板市沢 沢観音寺

絹本著色釈迦三尊十六善神図

縦108.5cm 横55.5cm
 室町時代末期本図は大般若経転読の際の本尊画像である。大般若会には、教典を守護する釈迦三尊と、その護法神たる十六善神を勧請して行うことになっており、大般若会の盛行に ともなって多くの画像が描かれた。

5 絹本著色高野四社明神図 1幅

昭和57年8月27日指定
矢板市沢 沢観音寺

絹本著色高野四社明神図

縦107.8cm 横53.2cm 
 桃山時代  作者不明 当観音寺寺宝の一つで、一般的な仏画と違い男神ニ柱、女神ニ柱の四社明神画で、下に守護獣こま犬が画かれている絵画である。

6 絹本著色観世音菩薩図 1幅

昭和63年12月27日 指定
矢板市沢 沢観音寺

絹本著色観世音菩薩図

縦140.3cm 横51cm 
 荒井寛方の作である。寛方は、1878~1945年(明治11~昭和20年)。画家。本名寛十郎、氏家町の生まれ。1907年(明治40年)第1回文展入選。法隆寺壁画の模写にも参加し「仏画の寛方」として名を馳せた。 

彫刻

7 木造金剛夜叉明王坐像 1軀

 昭和48年7月24日 指定
矢板市木幡  木幡神社

木造金剛夜叉明王坐像

木造寄木造 金パク塗 像高141cm 
台座は蓮台である。
室町時代

木幡神社下の宮に安置してある三面六臂の仏像である。従来地元では、馬頭観音または愛染明王と伝承されていたが、神仏混こう時代の遺物と考えられ、日光輪王寺から当神社へ寄進されたものと推定される。

8 銅造大日如来坐像  1軀

昭和50年10月24日 指定
矢板市長井 寺山観音寺

銅造大日如来坐像

銅造 像高110cm

当寺第34代秀慧代に、近隣から浄財を仰いで造立したもので、立足村仁田久保志徳坂の平地に於いて鋳造したと伝えられている。蓮台に天明元年丑年(1787)龍集野州佐野天明町鋳物師丸山善太良易親作の銘がある。龍集とは、木星が1年に1度(何日間か)出現することから、会いがたき仏に会うという意を含めたものらしく木星をさすものということである。戦時中の供出の際、優秀仏として溶解をまぬがれた。

9 木造行縁僧都坐像  1軀

昭和50年10月24日 指定
矢板市長井  寺山観音寺

木造行縁僧都坐像

寄木造 木彫 像高84cm 素材は栃

鎌倉初期様式代表彫刻、当寺中興開山法橋行縁の坐像という。 
胎内に次の墨書銘がある。(寺山現別當教行法橋御房行縁像影木造立正□□年□□十月十八日始之正□二年□□七月十七日修理之也□□時政之征夷大将軍源頼朝公可奉祈口御菩提也大勧進富妙房)法橋行縁の自作と伝えられている。

10 木造二十八部衆像 28軀

昭和50年10月24日 指定
矢板市長井 寺山観音寺

木造二十八部衆像

 寄木造木彫 永享13年(1441)作
 小貳法眼と金資宗海によってほとんどが永享13年(1441)に作られたと思われる。願主は塩谷氏の夫人房御前と3人の子女、それに1人の比丘尼である。平均身長80cm。この二十八部衆は他寺のものに比較して大きくかつ秀作である。

11 木造風神・雷神像 2軀

平成4年2月28日 指定
矢板市長井  寺山観音寺

木造風神・雷神像

風神(木造 66cm)、雷神(68.3cm)は14世紀頃の作で姿態、表情ともに律動的で雲台彫刻も独自の工夫をこらした名作である。

12 銅造千手観音菩薩坐像(縣仏) 1面

平成3年2月19日 指定
矢板市長井  寺山観音寺

銅造千手観音菩薩坐像(縣仏)

金銅 像高36.0cm 鎌倉時代

本像は秘仏本尊千手観音坐像の御前立像である。もとは、銅円板に取り付けられた縣仏であったと思われる。

13 木造千手観音坐像 1軀

昭和48年8月28日 指定
矢板市沢  沢観音寺

木造千手観音坐像

寄木造 
木造千手観音坐像で、高さ36cm、膝開24cm。
本堂の南の観音堂に安置されている。
鎌倉時代の作 作者不明。

縁起
当寺は、天長2年(825)東土屋の弾正に創立という古い寺で、後、沢村氏の菩提寺となり、沢村氏が烏山へ脱出後その跡地に移築したものである。現本堂は天保14年大火災のあと建築したものを昭和31年に改築したものである。当寺は真言宗智山派の中本寺で、佐久山福原氏の祈願所として那須塩谷にわたり、80数ヶ寺の同流末寺があったという。

14 木造阿弥陀如来坐像 1軀

平成13年2月13日指定
矢板市沢 沢観音寺

絵画

15 絹本著色阿弥陀如来坐像 1幅

矢板市東泉  鏡山寺

絹本著色阿弥陀如来坐像

縦149.3cm 横94.0cm 高麗時代

本図は頭に花冠を付け、両肩に朱の衲衣を纏って台坐上に結跏跌坐する阿弥陀如来坐像である。頭部に飾る花冠や竜の絡む台座、左肩から天衣が台座上に長く垂れ下がるところなど、あまり例のない描写である。また、仏身に比べて台座も大きく、細部表現は精緻である。肉身部は均一の線で描き、衣文部を抑揚のある線で描くなど線描に変化を付け、さらに衲衣の表を赤地に金泥で唐草文等を、裏地にも竜文を全面に描く。裳は青地に墨で竜文を描くなど色彩は鮮やかで装飾的である。また、手足の描法も力強い。当初は阿弥陀如来像の背景に全面濃紺地に薄く文様が描かれていたと思われるが現状では確認されなかった。台座框部の一部がカットされるなど天地左右がかなり切りつめてある。高麗時代に製作された仏画は、季朝時代の仏教弾圧や戦災などによる影響と思われるが、現在確認されているものは大変少ない。また現存作品で見るかぎり、観経変相図や弥靱下生経変相図など変相図系、それに阿弥陀や観音、地蔵、羅漢などの顕教系のものに限られ、密教系の題材がほとんどないのが実情である。県内に伝存する高麗仏画は本図以外に足利・鑁阿寺と小山・興法寺の二幅が確認されている。

工芸品

16 曜変天目茶碗(禾目天目) 1口

昭和48年1月30日 指定
矢板市沢  沢観音寺

曜変天目茶碗(禾目天目)

中国宋時代の作と伝えられ、抹茶茶碗直径16.7cm 高さ7.5cm、重量610グラム、口縁に少し損傷があるが、藍色を含んだ黒色のアメ色で均整のとれた形が美しい。
この茶碗は、黒釉の曜変で鉄質の多いうわぐすりが酸化によって焼成される場合、含まれている鉄の結晶がうわぐすりのとけるに従って流下し、細かい文様を呈したもので、野兎の毛の如くまたは稲の穂のノギのように見えるので禾目天目の名があるという。天目茶碗というのは、鎌倉時代に中国へ渡った禅僧が天目山の建窯から持ち帰ったのでこの名がある。名品が多いといわれている。

17 槍(銘 守勝) 1筋

昭和60年1月18日 指定
矢板市本町  個人

槍(銘 守勝)

長さ 19.0cm 
茎の長さ 39.0cm
刃文 直乱れ
特徴 槍樋平三角塩首
     (えらくび)八角
桃山期の作で現在の宇都宮市徳次郎町に栄えた徳次郎鍛冶の守勝作であり、本県では唯一のものである。

18 刀(銘 野州住道賛作之) 1口

昭和56年7月31日 指定
矢板市扇町  個人

刀(銘 野州住道賛作之)

 野州住道賛によって昭和19年7月に作られた刀で長 さ66.2cm、刀文互の目乱れが特徴である。

考古資料 

19 寛元二年銘の板碑 1基

平成5年9月3日 指定
矢板市片岡(明本寺内)  矢板市

寛元二年銘の板碑

高さ59cm、幅20cm、厚さ2cm、石質 緑泥片岩
主尊 弥陀種子

本石碑は、昭和8年1月16日、矢板市片岡字前岡地内の通称和田坪という墓地(明本寺檀家の墓地)に隣接した道路改修の工事中、発掘されたものである。工事の際、数基の板碑が掘り出されたが、欠損箇所が多いため完形の本碑を除いて埋め戻したという。本碑は発見後、郷土史家土屋喜四郎氏(故人)によって、30余年の間私蔵されていたが、後に矢板市に寄贈され、明本寺檀家の墓地脇から発見された経緯により、現在、同寺院の小堂に安置されている。本碑は秩父産の緑泥片岩(青石)で造られ、梵字の種子を主尊としたものである。高さ59cm、幅は三角帽子に二条の鉢巻きを締めたような格好の首部下辺りで20cm・基礎上端で21cm、厚さ2cmである。塔身部の梵字種子の右脇下に「寛元二甲辰」、同左脇下に「十一月 日」と年号月日を刻んでいる。本碑は表面が磨耗しているため、年号月日の判読がやや難しいが、全国的にみて極めて数の少ない「初発期板碑」であることに、歴史的価値がある。