本文
Yaitars(ヤイターズ)~足るを知るひと~
暮らす人々
篠原完治さん・京子さん
トランぺッター・篠原完治さんとヴォーカリスト・京子さんご夫妻は東京からの移住者。
西麻布でイタリアンレストランのオーナーシェフだったという前職を聞くと、料理から音楽への転換はとても飛躍しているように感じるが、お二人とも口を揃えて「自然な流れだった」とのこと。
一体、どんな流転があったのか、矢板市のお洒落スポット「58(ファイブエイト)ロハスカフェ」でお話をうかがった。
「音楽なんて、嫌じゃなきゃそれでいいのよ」
このカフェでお二人は毎月1回日曜日に、アフタヌーンジャズというタイトルで演奏されている。
以前は宇都宮のライブハウスでの本格的なライブを定期的に行っていたそうだが、完治さんが呼吸器系の病気になりドクターストップがかかり休むことに…。現在は密にならない58ロハスクラブだけで演奏することになったとのこと。カフェ店内のオープンスペースでさりげなくピアノが置いてあるという環境は、まさにピッタリだった。
完治さん
僕は地元の人達の中でやりたかったのと、町を歩いている時に何か音楽が聞こえるっていうのがやりたかった。
京子さん
音楽なんて、嫌じゃなきゃそれでいいのよ。自分が心地いいと思ったらね。音を楽しめればいいわけだから。
「ジャズとの出会い」
そんな風に自由に楽しくジャズセッションするお二人だが、元々音楽のスタートはクラシックだったという。
完治さん
僕の学校は幼稚園から大学まである学校で、お父さんがオーケストラ団員や有名なミュージシャンだったりという子が沢山いたの。中学に入ると吹奏楽やらない?と誘われてそこで僕はトランペットを始めた。
プロの演奏家や良い指導者に恵まれて、コンクールに出場して2年目には全国大会にでたんだ。そんな音楽好きな子を伸ばしてくれる校風があって、お金かけてくれる親たちもいて、好きなようにやらせて貰えたね。
京子さん
私は母が幼稚園から歌やピアノを習わせたの。音大に行かせたがっていたけれど、私は歌曲を歌うことに抵抗があって嫌々やっていました。そこで高校からは美術をやるようになったの。でもたまには歌いに来いよって先生から声かけられて、時々歌ってましたね。
完治とは高校の時同じクラスで知ってたんですけれど、大学1年の時に「お前ジャズ歌わない?」って誘われて。アニタ・オデイって人のLPを1枚渡されて歌詞を覚えて何曲か歌い始めたの。そして大学の夏休みに知り合いの紹介で、草津の中沢ヴィレッジのラウンジで夕方からジャズ演奏の仕事をしたの。
完治さん
アマチュアでなくプロとして雇われたから、大学生のバイトとしてはかなり良かったと思う。
京子さん
みんな怖いもの知らずだったから(笑)
完治さん
その時のメンバーの中で二人はプロになってるんだよ。
「人は可愛がってもらったり、助けてもらったりの連続だから」
大学卒業後お二人は別々の道を歩み、また再会するまで年数を経ることに。完治さんは好きな料理の世界に入り、やがてオーナーシェフとなり料理を教える先生にもなった。
京子さん
私は自分なりに仕事をずっとやっていて、ピアノバーみたいな所で歌ってみたり。50歳の時にジャズダイニングに誘われてから興味を持って、一生懸命歌わせて貰い、ある意味プロの自覚を持ってやったかな。
西麻布のイタリアンのお店をやるようになった時、お店にピアノとベースとドラムを置いたの。夜のみオープンで、昼間は楽器があるから若いミュージシャンがスタジオ代わりに使うようになって…。
完治さん
無料は駄目だから300円入れときなってピアノの上に壺を置いて、溜まったらピアノの調律をしてもらったんだ。自分たちのお金で音が良くなったってわかると彼らも喜ぶんだよ。
ーミュージシャンをそこまで援助することって、なかなか出来ない気がします。
京子さん
でも自分たちのほうが誰かに世話になっているじゃない、それが大きいか小さいかは別として。
完治さん
人に可愛がって貰ったり、助けて貰ったりの連続だったからね。
京子さん
出来ることで返せば一番いいから。
完治さん
彼らは皆、超一流になっているけれども、今でもよく連絡が来て、矢板に遊びに来たいって言ってくるの。
京子さん
嬉しいことだよね、そう言ってくれるのは。
ーまさに、「情けは人の為ならず」ですね。
「これ以上も以下もいらない、ちょうどぴったりだった」
ーお二人は移住の前には矢板を知っていましたか?
完治さん・京子さん
矢板は東京にいた時ゴルフで通ったと思うけれど、栃木県なんて知らなかった。
ー実際に住んでみて、矢板にどんな印象をお持ちでしょうか?
京子さん
矢板は食べ物が美味しい!お肉も野菜も。東京にいた時の半分くらいの金額で全部手に入る。
完治さん
ちゃんとした材料を使って真面目に美味しいものを作るお店がある。元コックだからその辺はよく分かるよ(笑)
京子さん
あと災害がなくて、人がそこまでギスギスしていないでいられるって聞いたの。だから矢板の人ってこんなに穏やかなのかって思った。
完治さん
僕は矢板に来てつくづく感じたのは、これ以上はいらないしこれ以下もいらないっていうこと。ちょうどぴったりだったよねって。
京子さん
飾らなくていいし、素のままでいられるっていうのがいいじゃない。
「矢板ってかっこいいんだよね、っていう処になればいいね」
ーお二人のこれからの夢をお聞かせください。
完治さん
今ここで演奏しているような仲間がもうちょっと増えるようにゲストも呼んで、少しずつ広げていこうかなと。
京子さん
だから、もう1か所、同じ感じに演奏できる処があるといいな。
完治さん
毎月とかでなくても、来てって呼ばれたら行くし。
京子さん
音を嫌がらない人なら生の音って楽しいと思うの。
完治さん
そういう人たちがさりげなく集まって、矢板ってかっこいいんだよねっていう処になればいいね。
取材を終えて感じた印象は、老子の一説「足るを知る者は富む」を体現されているなあということでした。東京という大都市から矢板という地方に移住されて、ギャップは感じられたと思います。けれども豊かな人生を歩まれてきたお二人は、矢板であるがままを受け止め自然体で楽しんでいく生き方をしていらっしゃいます。
矢板の素敵な未来の姿を見せていただいて、ありがとうございました。
(聞き手・地域おこし協力隊OG 進藤 尚子)
ジャズミュージシャン ~篠原完治さん・京子さん~
お二人とも東京生まれの東京育ちで、玉川学園で学生時代をともに過ごした同級生。
完治さんは南青山のレストランオーナー、京子さんはアパレル勤務を経てバツイチ同士で再婚。
西麻布で隠れ家的なイタリアンレストランを経営。
たまたま縁があって、矢板市の物件を紹介され移住。大好きなゴルフと犬とジャズのある暮らしを満喫中。
58ロハスクラブオーナーと出会い、3年前からアフタヌーンジャズというバンド名で毎月1回日曜日に演奏中。