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Yaitars(ヤイターズ)~自遊自在のひと~

印刷ページ表示 更新日:2021年2月26日更新

暮らす人々

地域にチャレンジする人を増やす、支援することを目的に設立された「矢板ふるさと支援センターTAKIBI」では、地域で活動する様々な方々にインタビューし、その暮らしをお届けしています。

戸井 出琉さん

戸井さん

温泉のある別荘地・コリーナ矢板には、栃木県外からの移住者が多く住んでいる地域。

その一角に東京からUターンで戻って来られた戸井 出琉さんが、`未来のお寺`として『アトリエ琉游舎』を作られて四年が経つ。

寺という名称ではない施設に込められた思いや、出家して新しい人生を歩んでいる現在の暮らしについてお話を伺った。

 

「あ、じゃあ出家だ」

―東京では大手広告代理店でマーケティングのお仕事をされていたと伺いました。
  出家されたきっかけは何かあったのでしょうか?

 

戸井さん

皆それを聞くんですけど(笑)僕はそれまで仏教や宗教と全く関係ない生活を送ってました。

人間は今90まで生きるじゃないですか。そうすると、大体仕事を30年やってきて定年になって辞めると、あと30年生きなくちゃいけないわけで、余生とか老後とかって意味じゃつまらないなと。

今までは経済活動をしてきたから全然違うことをやろうと思った時に浮かんだのが「あ、じゃあ出家だ」ってなったんです。

ただいきなり出家するって宣言するだけでお坊さんとは認められないから、十年前の在職中からちゃんと修行や勉強しました。

会社にも迷惑かけないように段取りをして、58の時に退職してから最終的な修行をして、三年前に日蓮宗から正式な僧侶として認められました。

 

「そういう遺伝子なんで」

―奥様は反対とか止めたりとかはなかったですか?

 

戸井さん

僕は私生活のことに関して言うと、いい夫では全くありません。今の妻は三人目で,
同じ小中学校の同級生でした。僕が出家していずれこういうのを作るよっていう話をして結婚しました。

彼女は彼女で自分のやりたいことをやっていて、ある種パートナーですよね。人間は人との関係性の中で生きているんで、関係性の中には必ず役に立つことがあり、お互い様っていうのはそういうことだと思います。

僕の親も祖父も何かをやると決めたらやるっていう人で。

お坊さんになるとは全然思っていなかったと思いますが、言った時は何もびっくりしなかったですよ。「あ、そうか」でおしまいです。そういう遺伝子なんで(笑)

 

アトリエ琉游舎の誕生

ryuyusya

 

―アトリエ琉游舎をコリーナ矢板に建てたのは、どんなご縁からだったんでしょうか?

 

戸井さん

元々僕は氏家(現さくら市)出身なので氏家で探しましたが、ちょうどいい所がなくて。ここ(コリーナ矢板)はうちの父が退職してずっと住んでいて、歩いて10分のところで空いていた場所があったから父の送迎をするにもちょうど良かった。

僕はビジネスとしてのお寺をやろうというのではなくて、寺子屋のような学びの場や集まって語り合う場、「みんなの避難場所」という、地域のコミュニティを作りたかった。

仏教では自由に遊ぶっていうのが基本なんです。ですから(琉游舎には)游の字を入れてます。遊ぶってことは何事にも捉われずに自分自身の心が自由になるっていうこと。そういう場を作ろうっていうのが一番の考えでした。

図書館の役割もと思って、子供の本を沢山置いていて自由に貸し出しています。

学校が終わった後に、子供が寄って六時過ぎに親が迎えに来たりもしていて。お菓子も自由に食べていいよって置いてます。うちでやるよりも集中してできると、勉強していく高校生もきていました。

近所にあるデイサービスのお年寄りが散歩がてら30分くらい休んでいくこともある。頼まれれば法要や葬儀も、日蓮宗のやり方でよろしければと引き受けます。

この夏には原爆の写真展をしたいという方がいらして、三日間使ってもらいました。
あとは、毎月定期的に読書会や映画会、写経会、詩話会、居酒屋会をやっています。

コリーナ矢板に住んでいる人はいろんなところから来ていて、一人住まいのお年寄りも多いんです。

毎日を豊かに心安らかに楽しく暮らす、その為に自分が生きていたり、先祖がいたり、いろんな人がいることを感謝して生きることを自覚すればいいというのが僕の基本的な考えです。ここは、そういう場であればいいなと思います。

琉ゆう舎

「お互い様の精神・コリーナシップ」

―アトリエ琉游舎以外にも精力的に活動されていると伺いました。

 

戸井さん

二年前から始めたのが、コリーナシップという地域の人で困っている人を助ける組織です。民生委員をやっているアビラ鈴木さんと、マイホームコリーナっていうデイサービスをやっている松本さんから、これから病院にいくのに足がないお年寄りが増えていくからどうしようと相談を受けて、内容や時間によってお金を頂いて送迎や付き添いを請け負うことを始めました。

僕も今は62歳で出来ますが、80歳になったらさすがに人を連れて運転するのは憚られる、そうすると誰かにやって貰わなければいけなくなる。だから働く世代の親にも入って貰って、年代間横断の「コリーナシップ」でなければならないんです。お互い様という相互扶助の考えと、ボランティアでは無いということが基本です。

コリーナ矢板が年寄りにとっては終の棲家、働く世代にとっては家族の安らぎの場であること。そしてこどもの世代にとってはここが故郷になること。大切な故郷になれば、出て行ったけれど、ここに戻ってくる場所になるようにしないと。

そうすると世代も循環するし、家も自然も循環する。自然って放置すると荒れ地になっちゃうんで、ちゃんと自然も管理する。自分の命も含めて誰かから受け継いだものは必ず次の世代に形はどうあれ渡していかなきゃいけない。

人から言われてやったことは長続きしないですから、自分がそう思わない限りは駄目で、自分が行動で示すしかない。

 

まずはやらないと何事も始まらない

―58歳でこちらに来て、たった四年の間でここまで出来るのは凄いと思います。

 

戸井さん

僕はまず”やること”だと思っています。勿論最低限の危険は回避しないといけないし法律違反は駄目ですよ。

でも、こうなったらどうする、こうなったら大変だということを並べ立てるというのは、やりたくない理由を言っているだけで。

だったらやりたい人が始めましょうと。問題点が起きたらその時に考えればいいし、まずはやらないと何事も始まらない。

 

~取材を終えて~

戸井さんの力強い眼差しと、淀みなく紡がれる言葉に引き込まれて、あっという間に時間が経っていました。

住む場所を変え立場も変えて、新たな生活を始めて四年とは思えない程地元の人との信頼関係を築き上げて、新しい試みを軌道に乗せていっている力の源は、「今の自分」が出来ることをやっていくという揺るぎない信念でした。

自分自身をこれからも自在に変化させていきながら、自由に遊んで生きるというスタンスは、きっとこれからの矢板が向かう先にも学ぶ点があるのではないかと感じました。

(聞き手・地域おこし協力隊OG 進藤 尚子)

登山

 

戸井 出琉(とい いずる)さん

栃木県さくら市出身。宇都宮高校から東京大学文学部哲学科へ進み、プラトンを研究。
大学卒業後、広告代理店電通でCM企画制作や営業を担当。

在職中に出家得度をし、退職後矢板市コリーナに移住し、老若男女すべての民族・思想・宗教・趣味・嗜好に門戸を開き、未来のお寺としてのアトリエ琉游舎を主宰する。

戸井出琉 | 日本 | アトリエ琉游舎 (ryuyusha.com)<外部リンク>

戸井さん