現在の矢板市は、町村合併を繰り返し昭和33年11月1日に誕生しました。今回は、合併前の「泉村」の村長がどんな方々であったのかについてご紹介します。
ちなみに、矢板市ができるまでには・・・
明治22年4月、市町村制が実施され「矢板村」、「泉村」、「片岡村」を設置されました。
明治28年6月、「矢板村」は町制を施行して「矢板町」となりました。
昭和29年12月、「矢板町」は「野崎村」の沢、成田、豊田を編入しました。
昭和30年1月、「矢板町」、「泉村」、「片岡村」が合併して「矢板町」となりました。
昭和30年4月、「片岡村」の松島を氏家町に分合。
昭和33年11月、「矢板町」は市制を施き「矢板市」となりました。
初代 氏名(地区)/片山七郎(田野原) 就任日/明治22年5月10日 田野原の庄屋。4月に町村制が施行されて、初代村長に就任するも病気のため5月24日退任。 |
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2代 氏名(地区)/藤本三郎平(下伊佐野) 就任日/明治22年5月30日 東泉から下伊佐野に婿養子に入った人で、山縣農場の開墾に尽力した。5ケ月余りで退任。 |
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3代 氏名(地区)/鈴木金四郎(山田) 就任日/明治22年10月11日 野崎商事会社専務取締役などをした事業家でもある。村長を6年半務めた。 |
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4代 氏名(地区)/松田斂五郎(--) 就任日/明治29年4月10日 4ケ月で退任 |
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5代 氏名(地区)/結城四郎(山田) 就任日/明治29年8月12日 山田の造り酒屋に生まれ、水戸の結城家に養子となり、生まれ故郷に帰って村長になった。 |
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6代 氏名(地区)/天野啓二郎(上太田) 就任日/明治31年6月21日 醤油醸造業を営んでいた。明治33年9月に病気により退任。 |
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7代 氏名(地区)/橋本兵作(東泉) 就任日/明治33年9月24日 5代目結城の弟である。明治9年4月、泉村第3事業所の副戸長を務めた。 |
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8代・12代 氏名(地区)/渡辺玉三郎(田野原) 就任日/8代・・明治36年4月4日、12代・・大正7年2月19日 郡書記から村長になった人で、日露戦争後勲7等桐葉章を受けた。信望が厚く3期12年務めた。 |
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9代 氏名(地区)/高野七郎(山田) 就任日/明治40年4月2日 高野家は、代々会津中街道山田宿の上の問屋を務めた家柄。明治43年の大演習の際に明治天皇に拝謁している。 |
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10代 氏名(地区)/関谷弥八郎(平野) 就任日/明治44年4月25日 泉郵便局の局長も務めた。泉村郷土誌の刊行。 |
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11代 氏名(地区)/石下仙平(長井) 就任日/大正4年4月26日 下野中学で船田兵吾の教訓を受け、生涯漢詩を毎日3首作り続けた。 |
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13代 氏名(地区)/森戸利平(東泉) 就任日/大正15年3月23日 森戸酒造の社長。 |
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14代 氏名(地区)/真瀬寿男(農場) 就任日/昭和2年7月11日 野木町出身で山縣農場開墾の支配人。病気のため、4ケ月で退任。更新日現在の野木町長の姻戚に当たる。 |
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15代 氏名(地区)/手塚峰松(長井) 就任日/昭和3年2月29日 矢板銀行の黒磯、西那須野支店長を務めた。 |
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16代 氏名(地区)/藤田種治(立足) 就任日/昭和7年7月7日 農家に生まれ非常に頭の切れた人と伝わる。 |
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17代 氏名(地区)/手塚一治(泉) 就任日/昭和11年11月10日 連隊司令部書記などを務め、勲7等桐葉章を受章。 |
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18代 氏名(地区)/荒井一(立足) 就任日/昭和20年1月27日 軍人上がりで砲兵中尉、天性の雄弁家で青年時代に全国雄弁大会で優勝。高田耘平代議士の推挙で憲政会本部の遊説弁士として全国行脚。浜口雄幸首相に随行して遊説をしたほどである。 |
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19代 氏名(地区)/塩谷順次郎(長井) 就任日/昭和22年4月5日 公職選挙法施行後初の村長である。宇農卒業後宇都宮高等農林で長く書記を務め、定年後村長となり戦後の村づくりに寄与した。 |
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20代 氏名(地区)/佐貫金市(長井) 就任日/昭和26年4月24日 村長就任後、矢板、片岡との合併の推進役となり実現した。森林組合長として組合事業に貢献、勲5等旭日章を受章した。 |