矢板中央高校の南約200mのところに稲荷神社が祀られています。
この境内に、芭蕉作の「原中や物にもつかず鳴雲雀」の句碑があることをご存知でしょうか。
これは、寛政3(1791)年に矢板村の中村又右衛門によって建てられたものです。
この又右衛門は、江戸に出て俳句の修行に励み、遂には「果玉房十兄で」という雅号を得て帰郷し、
その後近在の住民を集めて俳句の指導に当たりました。
この句は、貞享4(1687)年芭蕉が44歳の時のものです。ここには、元々木柱の案内板がありましたが、
朽ち果ててしまい今回新調されました。
なお、又右衛門はこの句の中のつを徒に、ずを都として彫り込んでいます。