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Yaita Life~ヤイタライフ~(令和3年7月7日配信)

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 更新日:2021年7月7日更新 ページID:0019685

芭蕉の句碑案内柱を新調

市民ライター/ハクセキ

矢板中央高校の南約200mのところに稲荷神社が祀られています。

この境内に、芭蕉作の「原中や物にもつかず鳴雲雀」の句碑があることをご存知でしょうか。

これは、寛政3(1791)年に矢板村の中村又右衛門によって建てられたものです。

この又右衛門は、江戸に出て俳句の修行に励み、遂には「果玉房十兄で」という雅号を得て帰郷し、

その後近在の住民を集めて俳句の指導に当たりました。

この句は、貞享4(1687)年芭蕉が44歳の時のものです。ここには、元々木柱の案内板がありましたが、

朽ち果ててしまい今回新調されました。

なお、又右衛門はこの句の中のつを徒に、ずを都として彫り込んでいます。

芭蕉句碑