1976年はどんな年だったか、みなさん覚えていますか?
まだ生まれてなかった人もいるでしょうし、あまりに昔のことで覚えてない人も多いのではないでしょうか
44年前のその頃は、今の60代70代の方たちの青春時代。
日本は高度成長期を終え、経済が活気づき、沢田研二や山口百恵、ピンクレディの曲が流行っていた頃です。
つまり、日本が元気で、これから盛り上がっていこうという時代です。
それでは、1976年の矢板市がどんなまちだったのでしょうか?
それを知る手がかりになる資料が今手元にあります。
栃木県内の商工会青年部連合会の結成10周年を記念して作成された「栃木県商工会青年部名鑑1976」。
もう一つは、同じく1976年に矢板市商工会青年部創立10周年を記念して作成された「結成十周年記念誌 あゆみ」。
栃木県商工会青年部連合は栃木県内の商工会青年部の連合組織。
その10周年を記念した「栃木県商工会青年部大会」が、1976年6月20日に矢板市体育館で行われました。
参加者は650名。
名鑑には、各地の商工会の会員の名前が記されています。
矢板市は当時123名が在籍。
これは県内2番目の多さで、1番多い足利市と僅差、100名以上は他に那須町だかというのですから、矢板市の規模を考えると、会員数だけ見ても、当時の矢板市にはこんなにたくさんの青年たちが事業を行っていたんだということが分かります。
矢板市商工会青年部が作成した「結成十周年記念誌 あゆみ」では、商工会青年部の会員のプロフィールなどが時に楽しく、時に真面目に紹介されています。
他にも座談会や、先輩方からのエール、夢や経営への思い、これからどうあるべきかなどなど、とても充実した内容。
年間行事では、ダンスパーティーやソフトボール大会もあったようです。
なんだかすごく楽しそうで、活き活きとした感じが伝わってきます。
お店の場所が地図になっているので、この場所にはこんなお店があったんだ!ということも分かります。
桑原楽器店さんや庭山書店さんなど、昭和っ子には馴染みのあるお店も掲載されていて、懐かしくなります。
(桑原楽器店さんは魚金さんの隣、庭山書店さんは足利銀行さんの今の駐車場の辺りにありました。)
42年前の矢板市のまちを彩ってきた若者たち。
そしてこのまちをさらに盛り上げるのは、今の私たちですね〜