それでは、その国家的なプロジェクトとは一体何でしょうか。
その答えは、平安時代初期に編纂された続日本紀(しょくにほんぎ)にありました。
これは、今で言う国の出版物ですから、信ぴょう性が高いものです。
ここには「(奈良時代に)下野ほか5ケ国の富民千戸を陸奥に移す」とあります。
つまり、未開地であった福島の中通りに、下野国から集団移転をさせたのでした。
その中に、我が矢板の祖先が含まれていたのではないか。
このことを最初に発見したのは、私の郷土史の師匠である渡辺久作(故人)先生でした。
先生は、これを昭和47年11月号の矢板広報と、矢板市史の54頁で紹介しておりますので、
興味のある方はご覧ください。
これが証明されれば、世紀の大発見につながります。(更に続く)