「富民」とは文字通り富める民のこと。
矢板は古代から豊かな穀倉地帯でした。
それは、前時代の古墳時代に見ることが出来ます。
この写真は、運動公園内に復元された古墳です。
こうしたものが、市内には200以上もありました。
つまり、こうした古墳を築ける財力を持った豪族が200人以上存在していたということになります。
これが次の奈良時代に引き継がれて、この中の何人かが一族を率いて東北地方に移転をしたのでしょう。
やがて新開地に定着をした時に、自分たちの故郷の村名を付けたのではないか。
引き続き調査を進めて行きたいと思っております。